バリアフリービジネスセミナー講演・研修から

2002年新春座談会

みえはバリアフリー観光でおもてなし

今後、バリアフリーは新しいまちづくり、地域振興にも深くつながり観光産業にも大きく関わってくるといわれています。障害者や高齢者をはじめ、すべての人々が不自由なく安心して楽しんで、満足してもらえる観光地づくり。
三重県ならではの「バリアフリー観光」の実現と可能性をテーマに、北川知事と若手で活躍されている4氏に大いに語っていただきました。

司会、進行コーディネーター:中村 元さん

【出席者】

三重県知事
北川 正恭さん
きたがわ まさやす

 


三重県知事。会社勤務をへて昭和47年より県会議員。昭和58年より衆議院議員。
平成7年三重県知事に。若さとバイタリティーで生活者起点の県政にとりくみつづける。
昭和19年生まれ。

 

鳥羽水族館
 副館長

中村 元さん
なかむら はじめ

 


『伊勢志摩NPOネットワークの会』会長。三重県観光連盟・宣伝委員長。
現在、観光連盟でバリアフリー観光を推進。また、伊勢・鳥羽・志摩で
バリアフリーツアーセンターの設立を企画中。鳥羽水族館副館長。
昭和31年生まれ。

 

ベルテンポ・トラベル・アンドコンサルタンツ
代表取締役。

高萩 徳宗さん
たかはぎ のりとし

 


障害を持つ人、高齢の人などの旅をサポートする旅行会社「ベルテンポ・トラベル・アンドコンサルタンツ」代表取締役。
旅行会社・観光施設などのバリアフリーコンサルタントとしても活躍中。
昭和39年生まれ。

 

伊勢ばりふり団
 団長

橋本 あゆみさん
はしもとあゆみ

 


「伊勢ばりふり団」代表。平成12年春に同団を発足。リサーチや調査をもとに
チェアウォーカーのためのガイド誌「おでかけ!チェアウォーカー」を制作、発刊。各方面から反響を呼んでいる。
昭和46年生まれ。

 

タチバナ真珠
溝口 良平さん
みぞぐち りょうへい


阿児町賢島の「タチバナ真珠」で真珠の加工・販売業を営む。
一人で店を切り盛りし、接客もこなす。20歳の頃、バイクで事故をして脊椎損傷になり、以来、チェアウォーカーに。昭和46年生まれ。

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みえはバリアフリー観光でおもてなし

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動きはじめた三重のバリアフリー

中村 三重県観光連盟の今年のテーマは「三重のおもてなしはバリアフリースタイル」。バリアフリー観光を県全体で推進し、高齢者、子どもさん、障害者の方々すべての人に三重に来てもらおうと。
ところで、三重県はバリアフリー先進県をめざしていますが、知事はどのような思い入れを。

北川 明治以後の日本の行政は「治山治水」等の社会資本整備の行政。しかし、現在の成熟社会では、それ以外の施策も重要になってきている。
 今後は、男女間の差別、健常者と障害者の問題等人々のこころの問題にこそ、行政は踏み込んでいかないと。そういう意味で意識的に県職員や県民にバリアフリーを訴えかけ、条例を作ったりしました。

中村 橋本さんを中心とした「伊勢ばりふり団」が、昨春にチェアウォーカー(車椅子生活者)のための情報誌『おでかけ!チェアウォーカー』を発刊しました。
これは観光連盟にとってもバリアフリー観光を進める上で大きなきっかけになりましたが、そもそも発刊のいきさつは。

橋本 たまたま出会った車椅子の青年と親しくなり、いっしょにどこかお出かけしたいなと誘ったんです。以前、雑誌の仕事をしていて、バリアフリーのある飲食店の情報も知っているつもりで、実際に行ってみると、段差があったり、狭くて通れなかったり…。意識しているつもりがしてなかったんだなと。

 そのとき彼に情報誌にもバリアフリーに関する情報があれば自分たちも利用するが、情報がないと行きたくても行けないと言われたとき、私のできることはバリアフリー情報誌作りだと。それで「伊勢ばりふり団」を結成し、情報誌が誕生しました。

中村 高萩さんは障害者の方々が旅行に行ける環境作りをされていますが、実際どうですか。

高萩 会社を設立し約2年半ですが、バリアフリーが進み、最近は旅行に対して積極的なお客様が増えてきています。年間1000名ほど、旅行のお手伝いをさせてもらっています。

 全く旅行に出かけたことのない人、リハビリが済んで、家に引きこもっている中年の人たち、ご両親が高齢で車椅子になり、家族で旅行に行けない人たちなど、行きたくても行けないという潜在的ニーズがありながら、旅行会社がそこにうまくアプローチできていないのが現状です。

中村 それはなぜでしょうか。

高萩 そもそも旅行業、観光産業は集客がたくさんあればよいという、薄利多売による数の取り込みがベースです。結果、旅行に配慮の必要な人たちへの懇切丁寧なおもてなしの機能が失われている。
東京の新宿にある小さな会社ですが、当社には全国から電話がかかってきます。四日市からも「車椅子のおばあちゃんを連れて近くに温泉旅行を」という電話もありました。

中村 溝口君は脊髄損傷でのチェアウォーカーですが、非常に行動派ですよね(笑)

溝口 僕の場合は少しなら立てますし、一人でどこへでも出かけられますが、そうでない人にとっては、段差があると一人ではもうだめです。それに、行く先々の場所についての、我々が必要な情報がまったくない。あってもそれをどこに行って聞けばいいかわからない。とにかく情報がほしいですね。

橋本 実際に行った人の話を聞かないとわからないのが現状です。

中村 高萩さんの会社に三重からも問い合わせあるというのは、結局ほしい情報がないから。

高萩 ここに電話をすればなんとかなるんじゃないかという、ある意味旅行に関わる「命の電話」みたいな。ですから皆さん、電話が長いのが特徴。旅行に行きたいが行けない気持ちを切実に話されます。

中村 三重県はわりとバリアフリー対応の場所は多い。たとえば、鳥羽水族館とか志摩スペイン村。車椅子で入れる温泉旅館もある。

高萩 それを考えると情報が手元に届いていないことを感じますね。

橋本 たまたま行った温泉に障害者用リフトあったんですが、そこのパンフレットには、どこにもそんなこと記載されてない。これでは知る手段がない。

高萩 それに情報は存在するだけではだめで、車椅子を使う人それぞれの事情が異なったり、考え方が違ったりするところに難しさがある。ある程度の段差は自分にはOKだが、ある人にはダメでもう出かける気がしないとか。
情報をどう整理して自分のものにしていくかが大切。
また、そこが障害者への情報提供の難しい部分といえます。
 

既成の価値観を打破してこその
バリアフリー

中村 知事はバリアフリーをこころの問題として捉えていますが。

北川 本当の皆さんのこころのご意見をきくことが大事。同じ場所でも車椅子が使える人、重い障害で使えない人がいますが、それぞれが自己実現できる社会をつくっていくことが我々の仕事。

 従来の既得権益を持たれた団体の方の論理を一度否定し、新しい論理構成をしないと行政は信頼されません。それが成熟した社会の考え方。世の中すっかり作り直しです。公共事業に例をとりますと、高度成長期に、郊外に作られた団地の住宅は、居住者が高齢化してくると段差で上がれない、車椅子で廊下は通れない。これが日本のインフラ整備。
 今後、住宅を建てるにしても直すにしても、バリアフリーの部分へ予算が投入されていかないと。道路も、子ども、お年寄り、障害者といった交通弱者の視点で整備する、成熟した社会にしないといけない。既得の権益・価値観というものが全体を覆い、それのアベレージを行うのが従来の行政。新しい価値を生み出せなかったこの10年で、日本には閉塞感がもたらされたということです。

中村 高萩さんの会社もまさに同じ。旅行業者の感覚で商売していたのを生活者の視点で始めた。

高萩 私は自分が正しいと信じて、既存の旅行業とはまったく逆のことをしています。旅行業界はお客様の方を見ていないんですね。見ているのは航空会社であり、ホテル・旅館。
 航空会社と送客数を約束し、その数を集めるために募集をかけてきたわけで、消費者の生の声を聞く努力を怠っていたんだとおもいます。

中村 それは施設や旅館もですね。旅行会社の方ばっかり見ている。

北川 市町村、県もそう。県や国を向いていた。生活者を向いてなかった。ルールもお金も制度も決めてもらい、そっちを向いていたら仕事になった。しかし、それは右肩上がりの未成熟の社会で成り立ったこと。それに気づかない人が圧倒的に多い。
 

ノーマライゼーションが体現された社会へ

中村 まさに「生活者起点」で作られたのが『おでかけ!チェアウォーカー』。溝口君も誌面作りに参加されたとか。

溝口 自分で手伝えるものなら手伝おうとおもい、参加しました。

中村 取材をしてみて気がついたところとかは。

溝口 同じ障害者でも僕は軽い方なので、自分がバリアフリー施設を使えるからではなく、他の障害者が使えるかどうかを考慮しないといけないと実感しました。他の人ならどのように使う、利用するかをです。

北川 『おでかけ!チェアウォーカー』を県庁の部長に配ったんです。とにかく民間のこういう発想でやったらどうかと。この本を全員購入しました。勉強のためにね。意識改革をしてもらわないと。

中村 それで実際、三重県観光連盟も変わってきた。

北川 小さなことからはじめる勇気なんですよ。

橋本 NPOやボランティアを意識せずやってましたので、気がついたらこんなに広がってびっくりでした。

溝口 普通ならこんな本があればいいなで終わっているんですが、実際につくってしまった。

北川 いままでは、障害者のためのバリアフリーとか、女性のための男女共同参画でしたが、じつは健常者にとっても、男性にとってもそんな社会がいいんだというところへ意識が変わっていかなくては。
 いままでの福祉は障害者をケアしようという発想でしたが、そうでなく、みんながされる権利があるし、する義務もある。みんなが尊厳を持ち、堂々と生きようということです。

中村 いままで障害者に対しては、アンタッチャブルなところがあった。手助けしようと
しても、危ないからと逆に断られたり…。要は体感してないからケアの仕方を知らないん
です。

橋本 本を作るにあたり、障害者のことを何も知らずにはじめたのが、逆によかったかなと。私の場合、ブレーキどこにあるの、トイレどうするの、お風呂どうやって入るのとか全部聞きました。周囲に、素直に全部さらけだして教えてくれる仲間がいたこともありがたかった。

中村 それはアクティブに行動し、おもてに出てくる人たちだから。普通はどうなんでしょうね。

溝口 僕は入院しているときに車椅子バスケットに誘われて人前に出るようになりました。
 おかげで街に出る機会もできました。その人と出会わなければ、たぶん、おもてに出て行くことはなかった。家の中で暗い気持ちのままだったかも。

北川 三重県庁には、いま職員が約7700人います。現在87%ですが障害者や高齢者の体験をしました。目隠ししたり、耳をふさいだり、車椅子に乗ったりして。まず、体験しようということです。これは職員全員に体験してもらいます。

中村 車椅子を体験するとチェアウォーカーの人に話しやすくなりますね、不思議なことに。
 でももっといいのは、学校にいるときに体験すること。僕らの周りには、本当はいたはずなんですよ。車椅子の子どもたちが。その子たちの横にいたら、知らないうちに車椅子にちょっと乗せてくれとかやっていたでしょう。

北川 先ほど申し上げたように、それが成熟した社会。障害者のためにやっているんじゃないんです。いっしょに生活することが健常者にとっても、とてもいいことなんです。そこで、みんながノーマライゼーションをわかるようになってきます。

高萩 うちの企画する旅行は障害者に限定せずにその家族も連れて参加したりするのですが、リフト付きバスや車椅子をすごく面白がるんですね、子どもたちは。
 彼らはこころにバリアがないから、なんで車椅子に乗ってるのとか平気で聞いてきたり、電動車椅子が面白いから乗せてとせがんだり。子どもの頃のそういう経験は非常に貴重です。
 その子らは大人になってもこころのバリアは存在しないでしょう。
 

観光の原点はおもてなしのこころに

中村 海外に行くと、車椅子だらけです。どこに行っても。空港でいっぱいの車椅子を見て、車椅子の大会があるのかなんて(笑)

北川 日常の生活の中で街中に出ていますよね、いっぱい。

中村 なぜ、日本ではそういう光景は見られないんでしょう。

北川 まだ未成熟国家で、産業国家をつくる街の形態だから。

橋本 教育の面でいうと、親たちがおもてに出さない傾向があります。もう働かなくてもいいから、出なくてもいいからと。気持ちとしては出たいが、親には逆らえないという。

北川 学校というのは偏差値教育が圧倒的価値を持つ。平均80点以上の子を育てた先生が評価される。学校の使命は何かを逆転していかないと。先ほどの話にあった車椅子の子に接するような社会が健全な社会。

橋本 足の不自由な子が通う保育所があるんですが、その学年はすごく団結力があり、みんなでその子を助け合う。この学年の子どもたちはなんて頼もしいんだろうと実感します。

中村 今日のみなさんの話を聞いていて、一番大切なのは施設やハードとかじゃないなと。

高萩 旅行でよくタイに行きます。段差は多いし、一見、旅行はしにくそうなんですが、行ってみると物事がスムーズに運び、精神的ストレスがない。寺院など段差があるところへいくと、周囲にいる人たちがワァーと来て持ち上げてくれる。上まで行くと、またそれぞれに散って行く。その繰り返しなんです。

 タイの人になぜかと尋ねたら、彼らは敬虔な仏教徒なので、人に施しをすることで徳を積んでいるということでした。宗教的なことは別としても、タイには心の安らぎを強く感じます。ゾウに乗りたい、渡し舟に乗りたいなど、何かしたいことがかなえられる国です。

 逆に国内旅行は、危ないから、段差があるからと断られることがすごく多くいつもストレスを感じます。なにひとつ断られなかったタイには人的サポートがあり、おもてなしの心があります。行く前は不安だったお客さんも、安らいで帰ってきます。これこそ旅の原点じゃないかとおもいます。

北川 ぜひ、伊勢・鳥羽・志摩もそういうふうにしてほしい。どこよりも美味しい料理、ホスピタリティを作り上げていかないと。もう、行政に頼っていたらおしまいです。
 

可能性を秘めたバリアフリー観光の今後

橋本 補助金があるから、条例等で決まっているから、だけで作られたバリアフリー施設は大事に使ってくれない傾向があります。キャンプ場に手作りでスロープを作った人がいるんですが、その人は「自分が勝手に作ったらきっと使えないものになるから、車椅子の人を連れてきて、使う立場から助言をください」と。
 その施設は非常に大事にしてくれています。

中村 三重県観光連盟も、橋本さん、溝口君たちの力を使っていま、バリアフリーのガイドブックを作っていますが、伊勢・鳥羽・志摩で僕らが考えているのが評価システムを導入したバリアフリー観光センター。「私の身体はこういうふうですが、どこか観光に行けるとこありますか」と尋ねられたとき、「あなたの場合でしたら、ココとココに行けますよ」ということを、案内できるようなセンターを作っていきたいと。

北川 行政というのは、どうしても「強み」「弱み」の「強み」には行きにくい。アベレージの論理が働くので。むしろ、民間の方が「強み」に焦点を当て、自分たちはこうするんだという意志を出しやすい。いままで行政は効率の悪い方を助けようというシステムできた。だから効率はどんどん悪くなる。この行政から脱皮しないとだめです。

中村 伊勢・鳥羽・志摩の観光における「武器」はいままでなら伊勢海老であり伊勢神宮でしたが、いまは新しい時代の新しい魅力が必要。
 先のタイの魅力なんかは健常者が行ってもそこまではわからない魅力。

橋本 そこへ行って体験してみないとわからないという魅力があります。

高萩 情報がなければタイへ行こうとはおもわない。

溝口 それが本当の情報ですね。いままで情報といえば障害者仲間だけの狭い口コミだけ。
「おれも行けたからおまえも行けるぞ」なんていう。だから旅行に行く気なんてなかなかなれない。

中村 情報といえば、もっぱら、ここの図書館が使えるとか。

橋本 どこそこの病院、会館が入れるとか。施設の情報ですね。

高萩 情報が点でしかない。三重県でも、単発でのバリアフリー施設が整ってきましたが、これが線とか面につながってきていない。情報を点でなく、線をつなげて面にしていくことが観光においては大事なこと。それには、特定の旅館やホテルだけが頑張ってもだめで、やはり地域全体で取り組んでいかないと。

橋本 それと、ただ単に伊勢志摩をバリアフリー施設で充実させるだけでは、他県とやっていることは同じです。もっと地域の魅力を出していかないと。
 よく聞く話が、車椅子になってから、川、山、海の自然に近づけなくなったと。全部バリアになってしまいますよね。かえって街の方が施設があり安全でどこへでも行ける。しかし、自然とかけ離れている。河原でバーベキューや、山登り、海で泳いでみたい。そんな体験をしてみたいっていうんです。
 そういう部分で伊勢志摩というのは、大きな国立公園があるわけですから、それ自体を自然を残したままバリアフリー化していけば、すごく集客できるんじゃないかなって。

高萩 それはすばらしい着目点ですね。意外性って大事だとおもうんです。熊野にもすごくいいところがある。ただ、明らかに行きにくそうで、みなさん、あきらめていますが、来るとけっこう行けるよという話がわかれば。

溝口 行く前からあきらめるのは、車椅子の人が頭にバリアがあるから。

中村 じつは、熊野古道にバリアフリー古道を作る動きがあるんです。熊野の行政が海の横にその道を作ろうとしています。

北川 私が知らない間にCMが決まるし、熊野古道も勝手に決めてもらうし(笑)でもね、これがじつはバリアフリーなんです。役人には限界があることを役人が気づかないと。民にまかすと相当いい加減なことして困ることもありますが、そこは目をつぶって… バリアフリーのためです(笑)

中村 観光連盟が制作中の三重県全土を対象にしたバリアフリーガイドブックがあるんですが、この中でとてもいいのが「使えるトイレマップ」というもの。写真つきで利用可能時間までついている。これはいま、県の職員や観光連盟のスタッフが自発的に県内のトイレ施設を調べてまわっています。行政も変わってきたということですね。
 

発想の転換。すべては「気づき」が大切

北川 「生活者起点」を進めていくには、情報がオープンでないとだめ。それで、行政の悪いところどんどん言ってください、直しますよと。その代わり民間も悪いところ直しますよということ。そういう対等な関係を築かないといけない。

高萩 観光宿泊施設などそうですが、手すりやスロープつけるのにお金がかかるからと、補助金を口にし、行政の悪口ばかりではだめです。本当は来ても来なくてもいいんだけど、受け入れるのなら、誰かお金出してねという話でしかない。そういう発想の転換のできない人たちはそれでいいとおもいます。5年10年経たないうちに、たぶん市場から退場せざるを得なくなります。
 象徴的な話に、東京のホテルでは少子高齢化で婚礼が少なくなってきてます。結婚式を受注するのに車椅子用トイレがないホテルは選んでもらえない。なぜなら、呼ぶ親族の中に車椅子の方が明らかに増えてきたから。こういう現実が目の前まで来ていることを、民間の事業者も気がつくべきです。

北川 行政も気がつかないと。選挙に落選するとか叱られるということばかり気にするから「事無かれ主義」になるんです。だけど、10年先を見たらいま言ってあげることのほうが親切。その勇気を持とうと言っているんです。従来のみんな効率の悪いところに合わせるルールは見直すべきです。
 バリアフリーにするという意味では、男女共同参画の問題、障害者・健常者の問題、全部共通しているんです。一人が万人のために、万人が一人のために。それに気づいてくれるように行政をすすめたい。

中村 ユニバーサルデザインになるというのはそういうことですよね。どちらかを排除するのではなくて、アベレージを双方に延ばしてやる。

橋本 障害者団体の人たちのところへ行ったとき、はじめは私たちの活動にそんなこと無理だといわれ否定的でしたが、足を運んで私たちの活動を知るうちに、そんなバリアもなくなり、自分たちも何かやろうと活動するようになったんです。ずっと壁を作り続けていたものも、ちょっとしたものを一滴落としてやると何かが変わるような気がする。

北川 「気づき」なんですよ。こんなもんだという思い込みを打破するのが、私の仕事とおもっています。

橋本 今後、いろいろな意味でのバリアが取れてきたら、逆にいままで凝り固まってきた団体や壁を作っている障害者の人たちは、社会にでるのにだんだん肩身が狭くなってきますよね。補助金を出してほしいとか、障害者割引を作ってとか言えなくなってくる。

北川 じつはそれは大革命。政党が反対しますから。ケアすることにより票を得てきた経緯があるので。しかし、「生活者起点」とは一人ひとりの住民の方々が自立して主役になること。あと10年か20年経ったら、いまの社会のシステムは終わってしまう。だから、先にやっておいた方がいい。これは相当大きな議論です。日本の社会統治の仕方が、がらっと変わります。それの一番大きな原因は、ITです。情報がインタラクティブに同時に飛び交うわけですから。橋本さんひとり動きはじめたらその情報がどんどん広がりをみせ、進化していく。もっとあらゆる分野から、そのような人が出てくればとおもいます。我々が、いかにしてそういう仕組みを作り上げるか。それらが本当に整いはじめたときに、三重は一流県になれる。

中村 市民、行政、企業が動き出したら、あと動くのは社会だけです。これだけ熱心に三
重のことを考えてくださるみなさんがいれば、バリアフリー観光の雄になれる日は近いと
おもいます。今日は、未来がちょっと見えるお話、ありがとうございました。

(津市・津都ホテルにて)


北白川書房発行 月刊Mie 2002年1月号、2月号より引用

「転載はご遠慮下さい」

引用責任者:高萩 徳宗